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アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で最高善である幸福について語っている。幸福とはそれ自体で自足していて,他のもののために追求されることのないものだ。幸福にいたるべき行為は良く生きることである。良く生きるとは衝動的に生きるのではなく,みずからの個性を十分に生きることである。すなわち,各人の社会的、倫理的な特性に即して生きることとされ,この個人の徳を顧みつつその行為を遂行している場合に善が実現され,幸福にいたるものとされる。

カズオ イシグロの『日の名残』の主人公スティーブンスは20世紀初頭のイギリスのダーリントン卿の屋敷で執事をしていた。月日も変わり,屋敷の主人も代わる中で,過去のダーリントン卿,父親,そして女中頭であったミス ケントンへの追想とともに物語は進展していく。ダーリトン卿のナチスに組した重大な過ちを防ぐこともできず,ミス ケントンとも関係も失敗だったと旅の終わりに確認する。だが,スティーブンスの執事としての振る舞いは賞賛にあたいするのではないだろうか。スティーブンスは貴族にもなれないが,与えられた状況の中で自らの居所を見出し,幸福にいたるための行為をしたと思う。人はながしかの制約のなかで生きなければならないが,スティブーンスは自らの本分を見出し,そこへと向けて価値判断を定立し,行為してきた。物語はストーリーの飛躍も跳躍もないが,過去の伝統的なイギリス社会の落日を描き,読んでいて清々しくなる作品。